八幡神社
八幡神社について
八幡神社と呼ばれるお宮は全国にたくさんあり、その数約二万五千社といわれています。
この根本社は大分県の宇佐八幡宮、京都の石清水八幡宮、神奈川県の鶴ヶ岡八幡宮であり、八幡宮はいずれもこの三社から分かれたものです。
普通八幡さまには必ず應神天皇と神功皇后を祭ってあるのですが、南串の八幡さまには、仲哀天皇、和気清磨、竹内宿弥の三柱の神も合祀されています。
これらの神々は共に大陸文化を取入れ、国土の安泰に盡されました。
神功皇后は應神天皇の御母君でもあるので母子神としても信仰されています。
創立は明確ではありませんが、八幡神社縁起録によれば、神功皇后が高来の郡の羯奴(悪る者)を征伐されたときお陣所跡に石祠を建立し、御神徳を崇め奉ったのが八幡神社の起りで、弘長三年(一二六三)五月であるといわれています。
原城の乱後島原藩主になった高力忠房は、神社佛閣の再建に務めました。
この八幡神社は寛永十七年(一六四一)に再建され、天和三年(一六八三)改築、大正三年旧村社となりました。
旧幕時代は、金蔵庵(温泉一乗院末庵)が八幡さまと隣接して在り、共に神事も行っていましたが、明治二年観喜庵とともに一乗院(水ノ浦)に併合されました。
神職志賀家代々の墓も金蔵庵主の墓も、上木場の同一墓所にあります。
八幡会は、「神社の杜を保育の庭に」との創設者の理念のもと「子どもから老人まで」の幅広い福祉サービスを展開するまでとなりました。
これからも八幡神社の御心を福祉理念として、自然を大切に、神々と共に歩き、共に幸せを分かち合うという神社神道の言葉である「惟神(かむながらの道)」のもと、先人に恥じぬよう一同一丸となって邁進致しますので、何卒一層のご厚情・ご支援を賜りますようお願い申しあげます。
木村庄之助さんの書
八幡神社の境内には、二十九代 木村庄之助氏の書が刻まれた石碑があります。
また、神殿の入り口にも立派な書が掲げられています。この二点の書は、二十九代 木村庄之助氏が、八幡神社を訪れた際に書かれたものです。